11.コレクション

 ・カッパのバッチ  

都民の日を記念したバッチを発売当初から毎年買い求めていたのですが、ある日、バッチ一つ紛失していることに気づき、発売元の都庁に電話で問い合わせたのですが、そのバッチが12年前のもので在庫がないとのことでした。が、職員個人が所有しているものでよかったらという方がおりましたので、ありがたく譲っていただきました。お陰様で42個全部揃えることができました。

         大東京祭記念徽章 記念バッチのデザイン  〔都民の日 10月1日〕    

・1956(昭和31)年~1958(昭和33)年:彫刻家・朝倉文夫 第1~3回  3年

・1959(昭和34)年~1975(昭和50)年:漫画家・清水昆  第4~20回 17年

・1976(昭和51)年~1997(平成09)年:漫画家・小島功  第21~42回 22年

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※1972(昭和47)年から単品100円とは別にケースに入った色違いの5個セット500円も販売となる。

1956(昭和31)年には東京開都500年(1457年に江戸城が築城された年を基準として500年目に相当)を記念して、都民の日に「大東京祭」が催された。その後は毎年恒例となり、1982(昭和57)年からは「ふるさとと東京まつり」と称された。

1956(昭和31)年の大東京祭以降、東京都は都民の日を記念したバッチ「大東京祭記念徽章」を毎年発売した。当初は彫刻家の朝倉文夫がデザインしていたが、1959(昭和34)年からは漫画家の清水昆によるカッパをモチーフとしたデザインとなった。カッパが採用された理由としては、隅田川にカッパの巣が多くあったとする伝承によるものだとされている。その後、バッジのデザインは、1976(昭和51)年から漫画家の小島功に引き継がれ、カッパのモチーフもそのまま受け継がれることになった。

このバッジは都営施設の無料入場を認める際の目印として用いられ、都内の各区市町村の窓口や宝くじ売り場などで一般販売を行った他、都内の小中学校などでも組織購入が行われた。このため、1960(昭和35)年代から1990(平成2)年代ごろまでの間に都内で幼少期を過ごした世代には、カッパバッジとして広く親しまれることになった。

しかし、1972(昭和47)年からプラスチックケースに入った色違いの5個セットも販売されるようになり、子供が購入するには高価になりすぎたこと、また、無料公開される施設が減少するなどバッジの目的が薄れたため、1997(平成9)年の都民の日を最後にバッジの販売は行われなくなった。

全国的に販売が行われたわけではない東京ローカルのバッジのために都民以外にはまるで知られていなかったが、漫画こちら葛飾区亀有公園前は派出所に登場したことで昭和にかつて存在した東京文化として広く知られるようになった。              (ウィキペディアの「都民の日」より、抜粋)

 

・漫画家のサイン帳(1954~1956年)

漫画雑誌をよく読んだり、絵を描いたりするのが好きで漫画家志望の時期がありました。当時の漫画雑誌には、周りの一定の余白部分に漫画家の住所が掲載されていました。小学5年生の頃から、この住所を頼りにあちこち迷いながら何人かの漫画家のお宅を探し当て、スケッチブックに絵を描いてもらうことが楽しみでした。武内つなよし先生より、この赤胴鈴之助の単行本の贈呈を受けました。このあと「赤胴鈴之助」公募の審査委員として出かけるとのことでした。後に赤胴鈴之助は、ドラマ化され、千葉周作の娘さゆり役として吉永小百合さんが選ばれました。

1956年(昭和31年)12月ラジオ東京・連続放送劇「赤胴鈴之助」のオーディション

 ・武内つなよし

    ・手塚治虫      ・寺田ヒロオ      ・藤子不二雄

・トキワ荘を訪ね、手塚治虫先生に絵を描いて頂いた。手塚先生が寺田ヒロオ・藤子不二雄両先生に「あなた達も描いてあげたら」と言ってくださった。

   ・馬場のぼる      ・高野よしてる      ・棚下照生

・高野よしてる先生宅に訪問した時は、会話をしながら絵を描いてもらいました。描き終ってからもなぜか聞き覚えのある会話が聞こえてきました。当時珍しくテープレコーダーで録音再生していました。

・笹山しげる

・前谷惟光

      ・茨木啓一             ・山口あきら

・太田じろう       ・山根一二三       ・かたびら すすむ

・森川けん一

・竹田まさお                 ・玉井徳太朗 

・竹田まさお先生宅を訪ね、竹田先生に墨をするように言われ、それから絵を描いて頂きました。

・竹山のぼる       ・田中 久       ・新井五郎

・面谷俊介                   ・池田もりとし

・池田隆一


・日本国有鉄道 本社付属機関

中央鉄道学園               中央鉄道病院

鉄道技術研究所             鉄道労働科学研究所


・鉄道労働科学(研究論文)

・鉄道労働科学(No1~No40)全冊 1952年~1986年

鉄道労働科学(No 1~No15)1952年~1962年 発行所:日本国有鉄道 厚生局

鉄道労働科学(No16~No40)1964年~1986年 発行所:日本国有鉄道 鉄道労働科学研究所 

 


鉄道労働科学No.1・No.2 労働科学研究室業報 1952年~1953年                              編集及発行:日本国有鉄道厚生労働局 労働科学研究室

鉄道労働科学No.3~No.10 厚生局保険管理室研究業報 1953年~1957年                編集・発行:日本国有鉄道厚生労働局 保健管理室

鉄道労働科学No.11~No.15 厚生局安全衛生課研究業報 1958年~1962年              編集・発行:日本国有鉄道厚生局 安全衛生課

鉄道労働科学No.16~No.23   1964年~1969年                                                         編集・発行:日本国有鉄道 鉄道労働科学研究所

鉄道労働科学No.24~No.30   1970年~1976年                                                        編集兼発行者:企画室 日本国有鉄道 鉄道労働科学研究所

鉄道労働科学No.31~No.35   1977年~1981年                                                          編集者:鉄道労働科学編集委員会 発行所:日本国有鉄道 鉄道労働科学研究所

鉄道労働科学No.36~No.40 ISSN 0285-8657 1982年~1986年                                編集者:鉄道労働科学編集委員会 発行所:日本国有鉄道 鉄道労働科学研究所

・国鉄 鉄道労研ニュース

鉄道労働科学科学研究所報      No.1(1963年3月)~No.563(1983年3月)    

 鉄道労研ニュース      No.1(1967年6月)~No.236(1987年3月)

 鉄道労働科学研究所報No.166(1967年5月)より一部内容を変えて鉄道労研ニュースを創刊(紙面は若草色)




・時刻表(日本国有鉄道)記念号

  創刊500号記念       創刊600号記念    創刊700号記念  1967年(昭和42年)     1976年(昭和51年)   1984年(昭和59年)

東北新幹線開業号        鉄ちゃん     上越新幹線開業号    1982年(昭和57年)6月              1982年(昭和57年)11月

JNR 国鉄最終号                  JR 旅客会社最新号            1987年(昭和62年)3月              1987年(昭和62年)4月

国鉄入場券 東京駅  1965年(昭和40年)5月31日/6月1日

 

60Kレール(新幹線用) 40K・50Kレール(在来線用) 

         40K                    60K            双頭            15K・9K

                           犬釘              ブレーキハンドル